さみしい牛丼
1974年東京。
18歳の私が、右や左どころか、
何も分からぬまま上京してしまった。
元々一人っ子だし孤独はあまり感じない方だった。それでも時間や空気やあの大都市の雑踏がスルスルと身体をすり抜けて行くような不思議な感覚は経験したことがなく、よく覚えている。そんな風に特にあてもなく街を歩いていた時。
「牛丼...かぁ」
ふと目に入った牛丼屋の看板。当時牛肉は贅沢品。まして青森に牛丼屋などあるはずも無い。15坪ほどの店内にコの字型のカウンター、サラリーマン風が二人。土産話に安い牛丼を食べてみようと入店。普通(並?)を注文すると直ぐにと言うよりはあまりにあっけなく
「はい、どうぞ!」
と出て来た。食べるのも、
またあっけなく、飲み物のようにサラッと完食。じっと空の丼を見下ろしていると、それまでは何ともなかった自分の心に急に穴が空いて、ヒューヒュー風が吹き抜けはじめ、これから、自分がここで生きて行くこと、少し真面目に正面向いた方がいいかも知れないとか、無神経な筈の自分に少し気合いを入れてみたりした。
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18歳の私が、右や左どころか、
何も分からぬまま上京してしまった。
元々一人っ子だし孤独はあまり感じない方だった。それでも時間や空気やあの大都市の雑踏がスルスルと身体をすり抜けて行くような不思議な感覚は経験したことがなく、よく覚えている。そんな風に特にあてもなく街を歩いていた時。
「牛丼...かぁ」
ふと目に入った牛丼屋の看板。当時牛肉は贅沢品。まして青森に牛丼屋などあるはずも無い。15坪ほどの店内にコの字型のカウンター、サラリーマン風が二人。土産話に安い牛丼を食べてみようと入店。普通(並?)を注文すると直ぐにと言うよりはあまりにあっけなく
「はい、どうぞ!」
と出て来た。食べるのも、
またあっけなく、飲み物のようにサラッと完食。じっと空の丼を見下ろしていると、それまでは何ともなかった自分の心に急に穴が空いて、ヒューヒュー風が吹き抜けはじめ、これから、自分がここで生きて行くこと、少し真面目に正面向いた方がいいかも知れないとか、無神経な筈の自分に少し気合いを入れてみたりした。
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