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アジのなめろう風ミックス

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オニオンスライス、長芋、水菜、おろし生姜、ポン酢。 自然な甘み、生姜の香り。鯵も食べやすいです。 ご飯にも合いますしおすすめ。

別れの余韻

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ま、 毎年のことなんですが、バイトさんも卒業していきます。 3年手塩にかけた娘がどっかにいってしまうわけですよ。子供がいない私には嫁にやるようなもんでしょ。世のお父様のお気持ち些かではございますがお察し致します。 ホントはカッコつけて気の利いたセリフでもいってやりたいのですが、いつも何も言えず

地元脱出→東京戦場

1974年。 地元が嫌いで、家族も嫌い。 学校もつまらんし、先生くだらん。 信頼出来る一握りの人々にさえ別れも告げず、逃げるように故郷を後にする。 割りと皆そうだったんですよ。 反抗期にしては遅いし、自我の目覚めだったら遅過ぎ。 なんなんでしょ。 なんか面白く無いんですね〜。 で、取り敢えず東京。 東京には孤独と自由と雑踏に埋もれて、打たれながらも生きていく自分をイメージできたんでしょうね。 実際に東京で暮らすと本当に誰も知らないんですよね。知り合いに会う確率は限りなくゼロに近い。路上で生きる人が足元に寝ていて、死体かも知れないのに誰も気に留めない。それと同じように、自分がどんな格好しても、汚くても、はずかしくもなかった。 誰も知らないという快感。 同僚や上司とはすこぶる円滑な関係でしたが、会社以外ではいつも一人で行動。アフターも休みも常に一人。一人満喫。 当時の東京はそれが一番の魅力だったかもしれない。 毎日が自由で気持ちよかったです。 自由感満杯。 そうして3年も住んでみると、馴染みの場所や、自分の行動半径もパターン化してくる。 そう、東京も徐々に地元化してくるんですよね。 じゃぁ、 地元で20年、東京で40年暮らしたらどうなのか。東京は地元になってしまうのか。 まずいな。 で、取り敢えず地元に帰ってみる。そしてあれよあれよと慌ただしく気がつけば35年経過。一度も弘前を出ていない。 あの当時から東京で暮らしている友人は、弘前に帰ると毎日が同窓会のように誰かとあって昔を懐かしむ。そしてまた東京という戦場に帰っていく。故郷と生活基盤は別にあるのだ。 故郷は遠きに在りて思うもの。地元と故郷は別にあるべきなのでしょう。 だとしたら現在の私は、 「地元と戦場と柵(しがらみ)に囲まれて生きている」 ということになる。また東京に行くべきか。いや、国外か。 そうはなりそうもない。 いつの間にかここがとても心地よくなってしまったのだ。環境も文化もなかなかのものです。 東京も地元もいつも同じで、いつも違うのは自分だけなのかもしれませんね。 遠くからきて弘前

野菜嫌いだった... 混ぜるのススメ。

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若いころの私は野菜どころか揚げ物とラーメンしか食べ物だと思っていなかった。 他にお菓子やフルーツなど、この世から消えてしまえばいいと思っていた。25才頃を堺に、どんどん体調が可怪しくなって遂には眠ることも難しくなり、遅まきながら健康というものを考えるようになった。 とはいっても妻の作るものを我慢に我慢で必死に口に喉に押し込むだけだった。 半年もするとそんな食事も然程苦痛でも無くなり1年もすると腹持ちもよく旨味が分かるようになる。月一でこっそり揚げ物をかって食べてみたりしたが、油は気持ち悪くて受け付けなくなっていた。 日本人は一般的に塩分が高くて野菜が少ない食事が圧倒的。一つには外食産業がヘルシーでないこと。もう一つは家庭での野菜の切り方が大きすぎるのではないでしょうか。食べやすく小さめ  細め 薄めにし、なるべく生は避けてレンジか茹でか水炒めるにする。更には肉や魚など他のタンパク質などとミックスして野菜の存在感を抑え目にすると良いでしょう。野菜は単品よりも数種類を混ぜて方が旨味もアップ。やがて野菜の旨味を消すのが高塩分だと気付き、自然と減塩も進むのです。そして何より嬉しいのは私のような大食漢にも腹持ちがいいのです。

スムージー変わりました。

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とはいっても、もう大分経つのですが。(発表遅過ぎ(^^ゞ) グリーンスムージー。 小松菜、バナナ、キーウィ、を冷凍しておきます。これにミルクと蜂蜜を加えてブレンダーにかけます。氷を使わないので時間が経っても薄まりません。小松菜はほうれん草と違ってえぐみの少ないので飲みやすいです。ヘルシーでけっこうお腹に貯まります。 ベリースムージー。 粒立ちの良い、冷凍したミックスベリーをたっぷり使います。更に蜂蜜とミルクが入ります。こちらも氷は入れないのでゆっくり楽しめます。風味がよく深みを感じます。 ブルーベリー、ブラックベリー、ラズベリー、ストロベリー。