1974年。 地元が嫌いで、家族も嫌い。 学校もつまらんし、先生くだらん。 信頼出来る一握りの人々にさえ別れも告げず、逃げるように故郷を後にする。 割りと皆そうだったんですよ。 反抗期にしては遅いし、自我の目覚めだったら遅過ぎ。 なんなんでしょ。 なんか面白く無いんですね〜。 で、取り敢えず東京。 東京には孤独と自由と雑踏に埋もれて、打たれながらも生きていく自分をイメージできたんでしょうね。 実際に東京で暮らすと本当に誰も知らないんですよね。知り合いに会う確率は限りなくゼロに近い。路上で生きる人が足元に寝ていて、死体かも知れないのに誰も気に留めない。それと同じように、自分がどんな格好しても、汚くても、はずかしくもなかった。 誰も知らないという快感。 同僚や上司とはすこぶる円滑な関係でしたが、会社以外ではいつも一人で行動。アフターも休みも常に一人。一人満喫。 当時の東京はそれが一番の魅力だったかもしれない。 毎日が自由で気持ちよかったです。 自由感満杯。 そうして3年も住んでみると、馴染みの場所や、自分の行動半径もパターン化してくる。 そう、東京も徐々に地元化してくるんですよね。 じゃぁ、 地元で20年、東京で40年暮らしたらどうなのか。東京は地元になってしまうのか。 まずいな。 で、取り敢えず地元に帰ってみる。そしてあれよあれよと慌ただしく気がつけば35年経過。一度も弘前を出ていない。 あの当時から東京で暮らしている友人は、弘前に帰ると毎日が同窓会のように誰かとあって昔を懐かしむ。そしてまた東京という戦場に帰っていく。故郷と生活基盤は別にあるのだ。 故郷は遠きに在りて思うもの。地元と故郷は別にあるべきなのでしょう。 だとしたら現在の私は、 「地元と戦場と柵(しがらみ)に囲まれて生きている」 ということになる。また東京に行くべきか。いや、国外か。 そうはなりそうもない。 いつの間にかここがとても心地よくなってしまったのだ。環境も文化もなかなかのものです。 東京も地元もいつも同じで、いつも違うのは自分だけなのかもしれませんね。 遠くからきて弘前